歪ませた空間の辿り着く先は、当然のことながら銀時の居城だ。
石造りの固い感触をつま先に感じ、銀時は己が戻ってきたことを悟った。途端に気が緩んだのか。先ほどまで感じていた鈍痛が、さらに痛みを増す。おかげで体が揺れ、思わずその場に頽れるように膝を折れた。
「銀ちゃん!?どうしたアルか!?」
「銀さん!?」
それを素早く見付けた神楽と新八が悲鳴じみた声を上げ、駆け寄ってくる。
心配そうに覗き込んでくる彼らに何でもないと首を振ってみせるが、勿論そんなことが通る訳がなかった。
自分でも顔に脂汗がじっとりと浮かんでいるのが分かる。
腹は剣が掠めた所が燃えるように熱い。まるで体の中に火種を放り込まれて、内部から焼かれているような感覚だった。
全く体の治癒作用が働いていない。こんなことは初めてだ。
出血はさほどひどくないにも関わらず、大量に血液を失った時のように虚脱感がひどい。その内に眩暈さえ感じて、目を開けていられなくなった。
「銀時さま。お部屋に……」
たまが手伝ってくれて、ようやく立つことが出来る始末だ。
そのまま揺れる体をたまに支えてもらうことでどうにか動かし、自室のベッドに倒れ込むようにして突っ伏した。
銀時が覚えているのはそこまでだ。そこで気力が潰えてしまったのだろう。
ぷっつりと意識は途絶えてしまったのだ。
どうやら腹の傷が原因で、発熱したらしい。
妙に体がフワフワと浮いたような感じが、気持ち悪い。発熱したことなど今までなかったから、その病状は不快なものでしかなかった。
意識が沈んでいく。だからこれはきっと夢なのだろう。
どこからか、啜り泣くような声が聞こえてくる。
その声はよく知っているように思うのに、誰の声なのか。どうしても思い出せない。
その泣き声に何か言葉が紛れているが、余りにも声が小さすぎて何を言っているのか、聞き取ることが出来なかった。
だが懸命に訴えてくる声に耳を澄ませる。そしてようやく聞き取ることが出来たその声に、銀時は大きく瞠目した。
ぎぃ……、ぎぃ……
どうしてすぐに分からなかったのだろう。そうだ。これは十四郎の声だ。
十四郎が泣いている。銀時の名前を呼んで……。
その声に銀時の胸は締め付けられたような痛みを発する。しかしこれが自分の都合のいい夢だということには、すぐに気付いた。
十四郎は銀時のことなど求めていない。もう銀時のことなど、殺意を抱くほどに嫌悪している。
それが現実だ。
「本当にそうなのか?」
突然、そんな銀時の思考を読んだように声が掛かった。
ここは銀時の夢の中だ。そんなことが起こりうるはずがない。ならばこの声も銀時が勝手に作り出した、心の声なのだろうか。
「よく考えてみろやぁ」
いや、違う。この声は、口調は……。
「高杉……」
茫然とその名を口にしたと同時に目の前に姿を現した昔馴染みを、銀時は呼吸することさえ忘れて、見詰めることしか出来なかった。
この場は退いた方がいい。
どこか冷静な部分がそう告げているが、銀時はどうしてもその場を立ち去ることが出来なかった。
目の前に十四郎がいる。ずっとずっと会いたくて、恋い焦がれていた十四郎が……。
しかしその十四郎が自分に対して刃を向けていた。殺意さえ込めて……。
銀時にとっては珠玉のようなかつて共に過ごした日々さえ、恥だと切って捨てた十四郎。ならば彼が銀時の手を取ることは、もう二度とないのだろう。
胸が痛い。傷付けられた腹よりも、胸の奥がずくりずくりと痛みを発していた
いないのだ。ぎぃ、ぎぃと紡がれる甘やかな声。一途なまでに銀時を求めていた十四郎は、もうどこにもいない。
目の前にいるのは、宿敵大江戸の後継者。これからヴァンパイアたちの最大の、そして最強の敵になるであろう男だ。
しかもその男を育て上げたのは銀時なのである。他のヴァンパイアの為にも、今ここで倒しておくべきだろう。
分かっている。頭ではきちんとそう理解していた。
それでも十四郎なのだ。別れてからずっと、どれだけ傷付こうと追い求めていた十四郎。
なのにどうして、銀時が刃を向けることが出来ようか。
ならばやはりここは退くしかない。
そう結論付けた銀時は、真っ直ぐに十四郎を見た。
「もう俺の嫁さんには、なってくれない?」
「戯言を……。魔導師がヴァンパイアの嫁になど、なるわけがないだろう」
蔑むような口調に、銀時の体の芯がすっと冷え込んでいく。
これが七年間、ひたすらなまでに想いを寄せてきた結果なのか。
そんな自分がひどく滑稽で、しかし笑い飛ばすにはあまりにも受けた衝撃が大きく、もう何も考えたくはなかった。
「そう。わかった」
力ない言葉が零れていく。
十四郎と出会って十五年。ずっとずっと彼のことだけを考えてきた。彼のことだけを見てきた。彼のことだけを想ってきた。
だがそれも今日で終わりだ。どれだけ銀時が求めても、もう十四郎をその手に抱くことはない。
「それでも俺は、お前のことがずっと好きだったんだよ」
自分でも情けない顔をしている自覚はあった。しかし既に虚勢を張って笑みを浮かべることさえできない。十四郎はそんな銀時に見下すような眼差しを向けるだけだ。
銀時は彼の眼差しを早く断ち切りたくて、残る力を振り絞り、空間を歪ませた。
大きく振りかぶった剣が陽光を弾く。それを銀時はまるで他人事のように眺めていた。
これは一体何が起こっているのだろう。
十四郎が銀時に向かって刃を向ける――――
そんな悪夢は今まで見たことがない。
どうかこれは夢でありますように……。
しかしどれほど願ってみても、これは夢などではなく現実の出来事だ。
銀時は咄嗟に腰にさしていた星砕きに手をやり、一閃を受け止めた。剣を交えてみれば伝わってくる。十四郎の殺意が本気だということが……。
「十四郎!!」
「お前が呼ぶなと言った!!」
訴えるように叫ぶ銀時の声も、一言の下に断ち切られる。
鍔迫り合いをしながら間近で見る十四郎は確かに幼き頃の面影を残しているのに、その瞳に宿るのは明確なる敵意。
銀時の中に暗い闇が広がっていく。
なぜ?どうして?本当にもう嫌いになってしまったのか?殺したいほどに憎んでいる?
銀時の中は疑問符に埋め尽くされていった。
「十四郎……!!」
「呼ぶなと……!!」
「十四郎!!」
しかし何も言葉に出来ない。ただ想いを乗せて、その名を呼ぶことしか出来なかった。
変わっていない。銀時の想いは僅かにだって変っていないのに……!
この胸を裂き開いて、溢れんばかりの彼への想いを見せることが出来れば、彼は元に戻ってくれるのか。
そんな出来もしないことを考えながら、銀時は必死になって訴える。
「なんで……!?」
「なんで?そんな簡単なことを聞くのか?」
十四郎がくつくつと喉の奥を鳴らしながら、逆に尋ねてくる。冷たい声。冷たい眼差し。目の前にいるのは確かに十四郎なのに、まるで銀時の知っている十四郎ではないようだった。
十四郎が一旦飛び退き銀時と距離を取り、構えを取って剣気を溜める。
「と……」
「俺が魔導師で、お前がヴァンパイアだから、だ!!
十四郎は一瞬の跳躍で、一気に間合いを詰める。銀時はそれに反応してかわすが、彼が横薙ぎに払った剣先は光を弾きながら腹に掠めた。服が避け、皮膚に傷が付く。
「つぅ……っ」
それは僅かに掠めただけにも拘らず、そこから熱が体全身に回り、火傷をした時のようにじくりじくりと痛みを発し始めた。
ヴァンパイアは人間に比べ、はるかに治癒能力が高い。いつもなら怪我をしてもすぐさま治癒が始まるのに、その気配さえなかった。
こんなことは初めてだ。
出血はそうひどくもないのに、痛みだけが激しく銀時を襲う。思わず右手で腹を庇った。
神剣で切られたからか。それとも十四郎の特殊能力ゆえか。
原因は分からない。もしかすると両方なのだろうか。
だがそんなことを考えている暇もなかった。そんな銀時を追い詰めるように、十四郎が更に斬り掛かってくる。
銀時はどうにかそれを紙一重でかわしていくが痛みのために息が上がり、まともに剣を振るうことも出来なかった。
「これが始祖か?たいしたこともないな」
「十四郎……」
嘲るようなその口調に、銀時の顔が悲壮に歪む。
十四郎の口からこんな台詞は聞きたくなかった。しかしこれが現実だ。
「そんなに俺が憎い?」
「大江戸の後継者たる俺がヴァンパイアに、しかも始祖に育てられたなど、恥じるべき過去だ」
一番聞きたくなかった言葉が見えぬ凶器となって、銀時に襲い掛かってくる。
嗚呼、やはり……。
人というものは脆い。こうやってすぐに心変わりする。
銀時は絶望感に苛まれながら、その場に頽れそうになる足を叱咤して、必死にその場に踏み止まった。
どうして?なぜ?
銀時の中はそんな単語で埋め尽くされた。
目の前に十四郎がいる。今すぐにでも駆け寄って抱きしめたいのに、彼は伊東から受け取った神剣を鞘から抜き、銀時に向けていた。
光の粒子が鋼の上で乱舞する。
それすらも銀時には幻のように見えた。いや、幻であってほしいと切実に願った。
しかし何度瞬いてみたところで、目の前の光景が変わることはない。
十四郎がもう銀時のことを嫌いになってしまったかもしれないと、恐れはしていた。しかしこのように十四郎自身に、真っ向から剣を向けられるとは思っていなかったのだ。
「さぁ、殿下。お待ちになっていた坂田銀時です。存分におやりなさい」
茫然と立ち尽くす銀時を横目に、伊東はその口許に酷薄な笑みを浮かべながら十四郎の耳元に顔を寄せ、唆すように囁き掛ける。
十四郎はその声に瞳を閉じ、そしてゆっくりと瞼を引き上げた。
その瞳は先ほどのような感情の籠らぬガラス玉ではない。強い意志の光が宿った黒真珠のような瞳が、真っ直ぐに銀時を見据えていた。
「ヴァンパイアは滅びよ」
「と……」
かつてより低くなっている声。それでもこんな時でなければきっとうっとりと聞き入ってしまいそうな甘い声は、しかしこの時は冷たい氷の刃と化し、銀時を切り付けた。
愛しい人の名を呼びたいのに、喉に貼り付いたように声が出ない。
まるで死刑宣告を受けた咎人のように、銀時はその動きを止めた。
「まずは始祖であるお前から、この俺が直々に滅してやる」
十四郎の口許に笑みが浮かぶ。それは銀時が今までに見たことがないような、冷たい微笑み。
嘘だ、と叫びたかった。なりふり構わず喚き立て、どうしてなんだと問い詰めたい。
だがこれが現実だ。
迎えに行くと約束しながら、それが果たせなかった自分。そんな銀時に十四郎は痺れを切らせ、呆れ果て、そして周囲の者から浴びせられた悪意に満ちた言葉に耳を傾けてしまったのか?
「十四郎!!」
「お前がその名を呼ぶな!!」
鋭い恫喝と共に十四郎の足が地を蹴る。
その体はまるで重力を感じさせぬほどの軽さで、銀時に向かってきた。
銀時は派手なまでに大きく跳躍し、すべての目を自分に引き寄せた。その間に桂のコピーたちに引くようにと、目配せする。彼らは銀時の意思を汲み取ったのか。一瞬の隙を突いて、逃亡を図った。
周辺にいた国民たちはようやく目の前で何が起こったのか、理解したらしい。途端にパニックに陥る。
当然だ。結界が張ってある国内の、それも城のど真ん中にヴァンパイアが現れたのだから、パニックにならない方がおかしい。それは目の前のヴァンパイアの持ち得る力が、それだけ強大だということを示すのだから……。
「皆の者、静まれ!!」
そんな銀時を眺めながら、伊東はフンと鼻を鳴らして大声を張り上げた。
ひどく落ち着いた、凛と澄んだ声が蒼穹に吸い込まれる。国民たちはそれだけで、静まり返った。それだけ伊東は国民から信頼を得ているのだろう。
しかしそんなことは銀時にとってはどうでもいい。掌に力を集め、目の前の見えない壁に叩き込む。
一発ではやはりびくともしない。銀時は立て続けに、結界に向かい魔力を放った。
結界の中に張ってある結界だ。それだけで強力なものだろうのに、体が異様に重い。
しかしその結界の向こうに見える、誰よりも愛しい人。
「うおぉぉぉぉ!!」
銀時は結界を抉じ開けるようにして、無理やりに中に入り込んだ。
そのまま舞台の上に、重力を感じさせない所作でふんわりと降り立つ。
「やっぱり現れたかィ、坂田銀時」
沖田がくつくつと喉を鳴らす。しかし珍しく彼はその場に立ったままだ。
何か裏があるのだろうか。銀時は用心深く彼を見据える。そんな銀時に気付いたのか。沖田は口許に冷酷な弧を描いた。
「今日の相手は俺じゃねぇ。あっちですぜ」
くいっと顎をしゃくって、後ろを指し示す。それにつられるように銀時の視線が後ろに向いた。
そしてその姿を見た途端、銀時の顔は見る見る間に色を失っていく。
「殿下。これを……」
伊東が先ほど神主が預かっていた神剣を彼に差し出した。彼はそれを躊躇なく受け取る。
「十四郎……?」
みっともなく声が震えるのを止めることが出来ない。
銀時はただ茫然と目の前で神剣を鞘から抜き取る十四郎の姿を、信じられない思いで見詰め続けた。






